小学校入学といじめ

 何もかもが初めてだらけの小学校一年生。私はランドセルをしょっていると言うより、ランドセルにしょわれているように見えるくらい、小さかったようです。そういえば例のごとく転んで、ランドセルが頭の前にずり落ちてしまい、起き上がれずにもがいたことを思い出しました。

 私がいつからいじめられるようになったのか、そのきっかけを覚えてはいないのですが、ふと気付くと、同じクラスの女の子(仮にAちゃん)とその仲間のいじめの標的になっていたのです。
 その内容は、鉛筆をとられたり、「○○ちゃんと遊んじゃダメ」と言われたり、時には蹴られたりといったものでした。給食の時にわざわざ隣に座らされて、Aちゃんの嫌いなものを私のお皿に入れられたり、逆に好きなものを食べられてしまったりということもありました。「やめて!」とキッパリ言い返してもよかったし、奪い返しても、先生に訴えてもよかったのに、なぜか私はそれをしませんでした。
 当時Aちゃんにいじめられていたのは私だけではありません。いじめられた側に共通していたのは、おとなしくて、言い返さず、されるがままに甘んじていた点です。
 それでも私を含めどの子も親にはきちんと話したようで、当然親たちは先生や学校に訴えてくれました。

 私をいじめたのはAちゃんだけではありません。別のクラスの男の子(仮にBくん)にもなぜか目を付けられてしまいました。Bくんはいつも子分を一人従えていて、近所でも悪ガキで通っている子でした。学校の帰り道や放課後、外で顔を合わせるたび、悪口を言ってきたり、ぶってきたりしました。
 母には、いじめられても自分が悪くないのなら絶対に泣いてはだめと言われていましたが、やはり叩かれたり、突き飛ばされて転んだりすると、痛いので泣いてしまいます。それがまた相手には面白かったのでしょう。

 ここで重要なのは、私がいじめられたことと、私がミオパチーだったことに関連性があるかどうかです。いじめの標的になるのは色々な面で弱い子。人と違っていることでいじめられる子も多くいますが、その子が精神的に強い子ならそうそういじめられることはありません。
 私の場合は確かにミオパチーのせいで人と違っていました。「走れない」ということは身体的な弱さの象徴であり、また走ろうとする姿も滑稽に映ったことでしょう。そのことはいじめの対象にするのに、よい機会を与えたことは間違いないと思います。それにプラスして、小さかったことも好材料だったでしょう。しかし、その時の私に決定的に欠けていたのは精神的な強さです。そしてミオパチーからくる劣等感も手伝って、自分に自信がなかったこと。これこそ、いじめられる絶好の条件です。
 だから、「ミオパチーだといじめられるか」という問いに対する私の答えは明確です。そんなことはありません。残念ながらひとつのきっかけであることは否めませんが、何がしかのきっかけはほとんどの子が持っています。大事なのはミオパチーであっても卑屈にならず、自分に自信を持つことです。そして、嫌なことは嫌ときっぱり言える強さも必要です。
 Aちゃんによるいじめは、2年生になる前に、いつのまにかなくなりました。Bくんはその後も相変わらず絡んできましたが、私の方が強い態度に出るようになったり、時には相手にしないこともあり、それほど脅威ではなくなりました。いじめが始まってから終わるまで、それは私の精神的な強さとシンクロするものだったのです。
 この後、いじめられても言い返せずにいる子に歯がゆさを感じ、私が割って入って代わりに言い返すまでに成長したことを付け加えておきましょう。

 ただ一つ、私には忘れられない出来事があります。
 それはまだAちゃんに盛んにいじめられていた頃、Aちゃんがいつものように私の筆箱の中から赤鉛筆を取り上げたときに起きました。私は「返して!」と言いましたが、Aちゃんは「返してほしかったら、とってみな!」と言って、赤鉛筆を持ったまま廊下へ逃げていきました。私は半べそをかきながら必死で追いかけましたが追いつくはずもなく、Aちゃんは途中でわざと止まっては、私が近づくと又逃げるということを繰り返していました。すると、そこに居合わせた全く関係のない男の子が、走る私の前にひょいと足を出したのです。もちろん私はその足につまずいて転びました。男の子の顔にはニタニタとした笑みが浮かんでいました。
 その子にしても魔がさしただけなのかもしれません。しかしながら、助けを必要としている子を助けるどころか、さらに窮地に追い込む行為です。その時感じた思いを今言葉にすれば、あからさまないじめよりたちの悪い、人間の本質的な悪の部分を目の当たりにした思い、といったところでしょうか。冷たい廊下に触れた手の感触が、私の心まで伝わってきたようでした。
 結果的に、Aちゃんよりも、Bくんよりも、たった一度私の前に足を出した男の子のほうが、ずっと私を傷つけることになりました。

→Bくんに対する私の武勇伝(?)は、母のエッセーでも見られます。
(2006.3.25)

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