2×3が生んだ優等生

 「運動能力が人並みになることはない」ということをはっきりと認識したのは、小学校に入学する時でした。そのことを告げた母の言葉はこうです。

 "あなたはどんなに頑張っても運動で人に勝つことはできないのだから、勉強だけは人よりできるようになりなさい"

 今になって振り返ってみると、この言葉は私の原点とも言うべき重要な言葉ではありますが、この時は多少のプレッシャーは感じたものの、それ程深刻には受け取らなかったと思います。母は今でも「私は正しかったでしょう」と言いますが、これより5年後、同じ立場にいるはずの弟に同じ言葉をかけなかったところをみると、私が最初の子だったことやミオパチーという病名を知った直後だったことで、母にも気負いがあったのではないかと思います。あるいは、本人もまだ気付いていなかった、勉強好きの片鱗を感じ取っていたのかもしれません。そう言えば保育園のときからドリルが好きで、例えばひらがなやカタカナの練習帳を買ってもらうと、一人でコツコツと練習していました。
 しかしながら、たとえ人より多少勉強ができたとしても、それをアピールする術を持っていないのではどうしようもありません。内向的で、自分の思っていることをはっきりと言えない私が、あっという間にいじめの標的にされたのは前回書いた通りです。いじめがなくなった後も、クラス替えのない1・2年生の間は、学校生活に慣れたという以外には大した変化もないまま、なんとなく過ぎていきました。

 転機は、クラス替えをしたばかりの小学校3年生の春、最初の算数の時間に訪れました。先生が黒板に「2×3=6」と書き、「かけられる数はどれですか?」と尋ねたのです。
 クラスには私とは初めて同じクラスになった、頭が良いと評判の男の子がいました。(実際、本当に頭が良かったのです。)先生はまず「3だと思う人!」と言って挙手を求めました。その男の子が手を挙げたので、それを見て何人かの子が手を挙げ始め、つられるようにほとんどの子が手を挙げました。この時私は内心ドキドキしていました。私には答えは「2」だという確信があったからです。次に「2だと思う人!」と先生が言った時、私は思い切って手を挙げました。手を挙げたのは私だけ。心臓の高鳴りは最高潮に達していました。
 少し待ってから、先生は私に手を下げさせ、静かにこう言いました。
「正解したのはおゆうさん、一人だけ。」
私の体はカーッと熱くなりました。頬が紅潮したのがわかりました。例の男の子が「あー、間違えた!」と叫びました。
 間違っていると分かっている方に手を挙げることは性格的にできません。でも、どちらにも手を挙げないという選択もあったのです。そして、いつもならそちらを選択していたはず。この時、どうして私がたった一人でも手を挙げる程の勇気があったのか、今でも謎です。が、とにもかくにも、この一件以来、私は一目置かれる存在となり、世界が一変しました。

 それからは、私を「天才おゆう」(正確には「おゆう」の部分は苗字です)と呼ぶ子もいたし、私がテストでよく100点をとるので、シャクトリムシをもじって「百取り虫」と呼ぶ子もいました。周りから勉強ができるというレッテルを貼ってもらい、ちやほやされるようになったことは、正直言って、心地の良いものでした。普通の体を持っていなくても、勉強ができるというだけで、こんなにも認められるものなのか。母に言われた言葉の意味をつくづく実感したものでした。
 勉強が人よりできるという自信は、それ以外の分野でも私を積極的に行動させ、学級委員(3〜6年生まで断続的に)、委員会の委員長(5・6年生)、クラブの部長(4・5年生)、果ては議長団の議長まで(生徒会長の小学生版、選挙で選ばれます。これは6年生の時。)こなし、3年生の秋に行われた学芸会の劇でも、オーディションを受けて、見事主役の座を射止めました。
 こうして調子に乗っていった私は4年生の時、当時マイブームだった御茶ノ水女子大に行きたくて、中学受験を親に打診します。母は担任の先生に受験や進学塾について相談したようですが、その時先生は「井の中の蛙になってしまうから、塾に行ってみるのもいいのではないか」と勧めてくれたそうです。よく見抜いていらしゃいます。5年生から通塾し、そこではまだ池を知った程度でしたが、その後中学で大海を知ることになります。

 話は少し反れますが、私のことがクラスで、そして学年で評判になってから、父兄達の間で妙な噂が広まりました。「おゆうちゃんのお父さんは東大出身で、お母さんはお茶大出身。だからお母さんはおゆうちゃんの勉強にとても力を入れていて、どうしてもお茶大に入れたいようだ。」
 ちなみに両親が知り合ったのは、前にも書きましたが、大学の自動車部。つまり両親は同じ大学の出身で、よって女子大であるお茶大の出身であるはずはなく、残念ながら(?)東大の出身でもありません。私のお茶大マイブームは、「女子の大学で一番の大学」という(少々いい加減な)情報を仕入れた私の勝手なブームです。この辺にも私がどれだけ調子に乗っているかが表れてはいるのですが、それはそれとして、子供が勉強ができると親がやらせているんだと決めてかかられるのは心外というものです。「勉強だけは人よりもできるようになりなさい」と命じた母は、意外にもいわゆる教育ママではありませんでした。厳しかったのは確かですけれど。

 そんなこんなで、小学校では確固たる地位を築き、栄光のうちに小学校生活を終えました(←大げさです!)。
 誤解して欲しくないのですが、私は運動の出来ない人は勉強ができないとダメだと言っているわけではありません。ただ、心と体は表裏一体ですから、体が不自由であるということは内面にも影響します。マイナス面を気にして積極的になれない時や、自信が持てない時は、プラス面に目を向けて、それをよりどころにするというのも一つの手段ではないかと思うのです。もちろん、ありのままの自分を受け入れ、自信を持てることが理想なのですが、それはなかなか難しいことです。でも何か一つ、誰にでも好かれる性格とか、ピアノや絵が上手であるとか、将棋が強いとか、努力家であるとか、そういう人に負けない、又は負けたくないと思えるものを持っていることは大きな自信につながるし、そこから好循環が生まれると思います。私の場合はそれがたまたま勉強だったわけで、今回のエピソードは一つのヒントとして受け止めてもらえればと思うのです。
(2006.5.3)

 INDEX