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sharaさんのご意見:「この時期がよい」という結論は導き出せず
いろいろ考えたのですが、
はっきり「この時期がよいのでは?」という答え(結論?)が
導き出せませんでした。
ごめんなさい。
なので、自分の経験をもとに患者本人の視点でのお話と、
このお題について私たち夫婦(子供なし)で
話したことを参考程度に書きます
自分の場合、最初に大学病院に行ったのは今から
30年ほど前になります。(小2かな?)
前にも書いたと思いますが、このころの時代背景として、
「ミオパチーについて」は今ほどわかってはおりませんでした。
たぶん、初期症状として一番近かったのは、
筋ジスだったと思います。
現に、私の両親もはじめは筋ジスを考えていたようですし、
実際に診断がつけれれたときもその病院では初めての患者でした。
ですので、親も先生から言われることがすべてで
独自でいろいろな情報を持つことは不可能だったと推測できます。
(現代のようにネットなどはありませんので。。。)
このような背景はよかった面と悪かった面の2面性が
あると思います。
私の場合、親が先生から話をされるときは
いつもその傍らに同席していました。
親だけ診察室によばれて。。。といったことは
私の記憶の限りではなかったように思います。
先生も、親に説明したあと必ず、平易な言葉で
自分にも話をしてくれていました。
そして、この「ミオパチー」に関しては本人と親とが
同じ歩幅で歩んできたように思います。
だから、私にはあらたまって親から説明された。。。
という記憶はありません。
特殊な例かもしれませんね。。。
たとえば自分が自分の身体について
「なんで、自分はこうなのか?」という疑問があったとしても、
それを親にぶつけてみたところで、
親も先生から説明された以上のことは正直なところわからないでしょうし、
そうなると、本人と一緒に考えるしかしてやれないわけです。
なので、様々な場面で親とはいろいろな話をよくしました。
同時に、どうにもならない現実を憂うことよりも、
人間としてどう生きるべきかという人生勉強が
その話のなかでしっかりと身についていったように思います。
ですから、自分が病気について知った時期。。。ということになれば、
診断がついたそのとき(小3)で知ったということになります。
親からの説明で理解するのではなく、
親とともに自分の身体のことを自然と理解できる過程を歩めたことは
よかったことだと思えます。
しかし、一昔前と今では状況が違います。
その最たるところは、少ないながらもきちんとした
情報を簡単に手に入れられることかもしれません。
(これははこのみおぱちっくをはじめ、ミオパチー患者のみなさんの
陰の努力や医学の発達のたまものといえると思いますが。。。)
私も社会人となって、仕事柄(医療技術者)自分でいろいろ情報を集めました。
すると、昔はこんなこと言われなかったな、とか知らなかったことが
いろいろありました。
(筋肉痛になるほどの運動がいけないとか、遺伝性があるとか、
呼吸器に問題が生じる場合があるetc...)
それを知ったとき、結構いままで危ない道を歩んできたと思ったのも
事実です。
結婚をして妻に言われたことがあります。
「3年一緒にすごしてみて、初めて何がつらいのかよくわかってきたように思う
」
「あなたは、病気だという自覚が薄い」
この言葉はミオパチーによる障害の中途半端さ(自分の場合)や
自分の歩んできたこれまでの過程に起因する弊害を端的に表していると思いまし
た。
と同時に、もし自分たちに子供がいて、その子がミオパチーだったら。。。
と仮定したら、
「わかった時点で、子供がいくつであろうができる限りの説明は
すると思う」
と、妻は言いました。
そうすることによって、何を注意しなければいけないか、ということを
子供に前もって自覚させたいからだそうです。
きっと、私を見てそう思ったのだと解釈しました。
「これ」という決定的な場面がないまま手探りですごしてしまった私は
健常者の妻からみると
「病気であるという自覚が薄い」
と見えるみたいです。
事実、自分でもかなり自分の身体の状況は理解しているつもりでしたが、
今回の怪我で「自分はこんなにも人(健常者)とはちがうのか。。。」
ということを改めて思い知らされました。
もちろん私も「即、告知」ということになんの依存もありません。
ただ、それが子供にとって絶対的に必要か?
また、言うのであればそれはいつがいいのか?
と問われると、なんともいえなくなってしまうのが本音のところです。
病気そのものに対しては、「絶対にしてはいけないこと」という要点だけを
きちんと子供に理解をさせることが必要であり、
メンタルな部分で言えば、おゆうさんをはじめ皆さんと同じように、
「できないのは自分の努力が足りないせいではない」と思えることは
少なくても「自分への救い」になるように思います。
ただ、自分に限って言えば心の奥底にはけっこう
どろどろした感情はくすぶっていたように思います。
たとえ、すべてを理解していて知っていても。。。です。
もっと言ってしまえば、自分はある時期、
他人に自分の病気のことを説明するのがいやな時期がありました。
「自分は筋肉の病気で、ひとよりも発育が。。。。」とか、
「筋肉組織の中に発育を阻害する物質があって。。。」etc。。。
たぶん、「見た目が普通」ということに起因していると思いますが、
言えば言うほどなんだか一生懸命、言い訳しているような気分になることが
あったのです。
これは、いわゆる「グレー・ゾーン」特有の感情かもしれませんね。
ミオパチーは症状も様々で、私のように幼少期は
ただ、「ちょっと痩せていて、運動があまりできない子」から、
早くから人工呼吸器をつけなければならない方、
気管切開を行って吸引が必要な方まで様々です。
それぞれ、置かれた環境や立場も違います。
また、子供それぞれの性格的特徴や個性の違いもあります。
ですので、一概に「いつがいい」という意見がむずかしいのかもしれません。
お題から逸れてしまいましたが、
今回のお題に関して自分が今、書けるのはこんなところです。
ぜんぜん、お題に対しての意見になっていないように思いますが(f^^)
一例として読んでもらえれば。。。
(2005.3.25付のメールより) |
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