初めてぶつかった現実の壁

 息子の場合、私が勤めていなかったため、幼稚園に通わせることにした。近所に同じ歳の仲良しさんがいて、一緒に近くの二年保育の幼稚園へ入園を希望した。筆記試験なるものは無く、親子で面接をした。当然私は息子の病気のことを報告した。型通りの合格発表があったが、その掲示板に息子の番号はなかった。
 4月からお揃いの園服を着て通園することを楽しみにしていた息子に対し、私は何も言えなかった。要するに、面倒な児は受け入れてもらえなかったのであろうが、この幼稚園はある宗教系が経営していたので、私の宗教嫌いに拍車がかかったのは間違いない。

 翌年、区立の幼稚園に入園を希望した。教育委員会から呼び出しがあり、息子の様子を見たいという。私はまるで罪を負った被告人が、裁かれる為法廷へ行くような気分で、息子の手を引いて向かった。
 教育委員会の人は3人で面接に当たった。知能的な遅れは全く無いのに、色々の質問をされ、立ち居振舞いを観察された。見せ物にされているような不快感を覚えたものだった。
 そして最後に委員が集まり、ボソボソと話していた。「この程度だったら、特別問題ないんじゃないの」と一人が言っているのが耳に入った。
 そんなことがあった末、入園許可の通知が届き、晴れて幼稚園児の誕生となった。
 水色の園服や帽子、通園カバンを手にした時の息子の喜びようは、言うべくもない。これを書きながら当時が思い起こされ、涙ぐんでしまった次第である。

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