こんな医者はいらない

 万葉の時代、山上憶良が詠んだこんな和歌がある。
「白銀も黄金も珠も何せぬに 優れる宝 子にしかめやも」
ご存知の方も多いであろう。

 さて、大学病院に検査入院した約二週間の間に、教授回診なるものがただ一度だけあった。初めて顔を見る教授からどんな事を言われるのであろうかと不安だった。2〜3人の若い医師を引き連れて病室に入ってきた教授は、彼らと二言、三言、言葉を交わしていた。
 おそらくこの時点で、私はまだ知らされていなかったものの、子供達の病名は90%以上分かっていたのだと思う。
 その教授が私に向かってこう言ったのだ。

「なんで産んだの?」

 私は頭の中がガーンとし、真っ白になった。この人はなにを言っているのだろうと、一瞬思考が止まってしまった。考えてもみなかった問いかけに、当然答えなどあるはずがない。生まれてきた子供達の全人格を否定しているかのような言葉。まるで、生まれた事自体がまちがっているかのような言葉。五体満足を望まぬ親が、どこの世界にいるというのか。どのようなハンディを背負っていても、この世に生まれてきたからには、より幸せな人生を送ってもらいたい。そしてなにより、子供自身が自らを否定するようなことにだけはなってもらいたくない。そう願うのが親であると思う。そのためにできることなら何でもしようと思うのが親である。医者はその為のサポートをするのが、本来のつとめだと思う。
 優しい言葉や、なぐさめの言葉を欲しているわけではないが、せめて一緒に頑張りましょうの一言ぐらいは言っても悪くないと思う。それなのにこの教授は「なんで産んだの?」である。

 当時私も若かった。返す言葉も持たなかった。でも今だったら言ってやれる。
「あなたはなんで医者になったの?あなたのような医者はいらない」
と。思い出すたびに、悔しさとせつなさで涙ぐんでしまう。今でも決して忘れることの出来ない、心の澱として残っている。

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