私が選んだスポーツ

 私のスポーツ好きがいつから始まったのかは定かではありませんが、保育園の卒園アルバムには将来の夢として「テニスのせんしゅになりたい」と書いています。小学校時代は体育の授業も運動会も大好きで、特にドッヂボールではいつも最後まで当たらずに残る人間でした。
 私のスポーツ探しは小さい頃から始まっていたのです。

 小学校に上がって少し経った頃、体を丈夫にする為、スイミングスクールに通うことになりました。泳ぐことも、飛び込むこともできるようになりましたが、ミオパチーですから当然スピードは出ません。週1回のレッスンで毎回変わるコーチにいちいち説明もできず、怒られてばかり。だんだん嫌になって、数年後に辞めました。
 耐久泳はできても(当時400〜500メートルは泳げました)、競泳は無理(当たり前)。水泳は私の選べるスポーツではありませんでした。

 中学校に入ってすぐの頃、校内で球技大会が開催されました。これはバレーボール、バスケットボール、ソフトボール、卓球の4種目に分かれて、クラス対抗で行われます。
 バレーボールはサーブもトスもできないので、却下。
 バスケットボールはシュートがゴールに届かないどころかパスすら満足にできないので、却下。(そもそもボールが重たすぎます。)
 ソフトボールはバッティングこそ人よりちょっと得意だったものの、投球と走塁ができないので、却下。
 結局私も父がやっていた卓球を選ぶことになりました。
 初めて卓球をした私は、スポーツが苦手な女子高の校内試合程度なら、十分通用することを知りました。6年間毎年行われたこの行事で、私のいたクラスは優勝すること2回、準優勝が2回、個人的にも中1、中2のときに一度ずつ二度負けただけと、まずまずの成績を残しました。
 調子に乗った私は卓球部に入部しようとしましたが、残念ながら休部中。有志を募って復活に奔走しましたが実現できず、中高一貫だったことから6年間、球技大会以外ではスポーツとは無縁の日々を送ることになりました。
 とはいえ、卓球の世界はそれほど甘くはありません。文字通り小手先だけで勝負する私が、思うように動かない体を抱えて通用するはずもありません。卓球も私の選べるスポーツではありませんでした。

 大学へ行ったらなんとしてもスポーツを始めたいと思っていた私に残された選択肢は2つ。自動車と射撃でした。
 どちらにするか決めかねていた頃、アトランタオリンピックに出場していた一人の日本人女子選手に目がとまります。彼女はクレー射撃の選手。クレーを始めて3年でオリンピックの切符を手にしたという人でした。ほとんどのスポーツが小さい頃からやっていないと世界はおろか国内でも通用しない中、射撃はそうでもないらしいのです。
 私の心は固まりました。「射撃をやろう!そしてオリンピックを目指そう!」そう、私が選んだスポーツは射撃。
 さっそく自分の受験する大学に射撃部があるかどうかを調べました。幸いにも射撃部は存在しました。大学生活とともに、クレー射撃にかける青春も始まる!!
 期待に胸を膨らませる私は、このときとんでもない勘違いをしていることに、まだ気付いてはいなかったのでした。(つづく
(2005.11.8)

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