父とスポーツ

 このサイトやエッセーでは父はミオパチーの遺伝子をくれた人という以外に登場することがなく、存在感が薄いように思われているかもしれませんが、それはそのまま、私の実生活にも当てはまります。
 実は私の父親というのは、私が物心ついた時には「時々家にいる人」であり、小学生の時には「たまに家に来る人」、中学生の時には「年に数回顔を見せる人」になり、私が高校3年生のときに両親が正式に離婚してからは、私は一度も父に会ったことがありません。現在、家族はその消息すら知らないという状況です。

 だから同じミオパチー患者として導いてくれる存在だったり、よき理解者であったどころか、父親としてもそうではありませんでした。多くのことにおいて反面教師でしかなかった父ですが、彼から学んだこともいくつかあります。

 まず1つ目。私が父に最後に会ったとき、父は50歳ぐらいで元気でしたから、私も普通の人と同じ条件で50歳ぐらいまでは生きられるらしいということ。

 2つ目はかつての母がそうだったように、体にハンデを背負っていても、それを認めて愛してくれる人がいるということ。結婚して家庭を持つことができるということです。(私に結婚願望がまるでないことは、また別の問題です。)

 そして3つ目。父は意外と体育会系な青春を送っていました。子供の頃は近所の川でよく泳いでいたそうです。高校では卓球部に所属して、周りの人と同じように試合にも出場し、そこそこ上手だったと聞いています。大学時代は体育会の自動車部でラリーに出場。当時パートナーだった母と共に何度も表彰台に上がり、ラリー荒らしと呼ばれていたそうです。今でも家にはそのときのトロフィーが並べてあります。その後、社会人になってからは銃の所持許可をとって狩猟を始めました。こちらは腕はいまいちだったようですが。
 父は私よりも症状が軽かったとはいえ、スポーツ好きで負けず嫌いの私にとって、父がいくつかのスポーツで人と対等に渡り合ってきたことは、一つの希望でした。種目を上手く選べば、私でも人と互角に戦えるものがあるかもしれない。実際私は父のスポーツ歴を参考に、大学であるスポーツを始めることになります。そのスポーツとは?…次回までのお楽しみ。
(2005.11.6)

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