「走る」ということ

 小学生ぐらいまでは、かろうじて走ることができました。と言っても、両足が同時に宙に浮く瞬間があるというだけで、実際は走るのとは程遠いものでした。
 今では全く走ることができなくなってしまいましたが、これが病気の進行によるものなのか、誰にも起こる年齢に伴う体の衰えによるものなのかはよくわかりません。

 そんな私が一度だけ本当に「走る」を経験したことがあります。小学校一年生のときです。同じ一年生と比べて体がちっちゃくて、走り方がミオパチーのせいでかわいらしく見えた私は、なんだか知りませんが六年生のお姉さん達にモテモテでした。その中でも二つのグループが、休み時間や放課後になると、私をめぐって争っていたのです。

 ある時、新入生の歓迎会で六年生が一年生と手をつないで走るという企画がありました。スタートラインに集められた一年生たちは、誰に連れて行かれるのかとドキドキです。私は走れないから、それ以上にドキドキでした。
 ピーッと笛が鳴りました。例の二つのグループのお姉さんたちが、左右から猛スピードで私をめがけてやってきます。そして先に私の手をとった2人のお姉さんが、今度はゴール目指して私ともども、これまた猛スピードで逃げたのです。

 両手を2人につかまれたとき、すぐ後ろで悔しそうに大声を出すもう一つのグループのお姉さんたちが見えました。でも次の瞬間、すごいスピードで駆け抜ける、そのさなかにいました。
 景色が流れていきました。風を切りました。体が宙に浮いて、足が軽く弾みます。
 あっという間の時間でしたが、あれほどスリリングな体験はありませんでした。
 本当は宙吊り状態で、足が空回りしていただけなのでしょうが、後にも先にも私が走ったのはこの一度だけ。一生忘れることのできない体験です。今でも鮮明に感覚が蘇ります。お姉さんたちが独占欲で争っていたことに感謝しなければなりません。そうでなければ、きっと私に合わせてゆっくりゴールを目指したでしょうから。

 残念なことに、私は夢でも走れたことがありません。空を飛ぶ夢だって見られるのに、走ることはできません。
 よく、何かに追われる夢を見ると走ろうとしても走れないと言いますが、私の場合はもちろん走ろうとしてもいつも通りのミオパチー。その上、数歩進むとすぐ転んでしまい立ち上がるのも一苦労。と、それなりにグレードダウンします。

 私にとって「走る」ということは、私が思っている以上に大きな壁であり、憧れなのかもしれません。
(2005.10.12)

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