運動会―その2

 息子にとって運動会は特別な場だったと思う。
 彼の場合は、みんなと同じスタートラインから『よーい・ドン』で走り出した。当然みるみるうちに一人置き去りにされていく。後ろの列に追い越されない程度にインターバルを空け、次の子供達がスタートしていたが、それでも追いつかれたことがあったように思う。

 高学年になると組体操がある。親達が楽しみにしている競技の一つだ。果たして息子は無事参加出来るかと心配だった。何しろ、小さい上に細い。たまに会う親類の者には、あまりの細さに腕を持ったら折れるのではないかと心配だ、と言われたぐらいだった。そしてミオパチーである。
 でも息子は自分なりに参加の方法を考えていた。
 最初の簡単な組体操は皆と同じように行い、途中から抜けて、各々の組体操のナレーションをしたのだった。そして最後に、又、列に戻って締めくくりをしたのだ。
 自分で先生に提案してのことだったそうで、成長したものだとつくづく思った。

 さて、徒競走の話に戻るが、小学校最後の六年生の時のこと。
 相変わらず最後一人残されて一生懸命に走る彼に対し、「頑張れ!」の声援が上がっていた。ところが彼は時々腕を顔の前に持ってくるのである。よく見ると、その腕で涙を拭っているように見えた。後で、「何で泣いていたの」と尋ねると、最初は否定していたが、事実はこうだった。
 六年間で最後の運動会だと思うと、色々の事が思い出され、自然に涙が浮かんでしまったというのだ。そして、運動会は決して嫌ではない。なぜなら、お友達は皆、自分の事を知っている。ただ、見学に来ている親や大人たちは知らないので、好奇な目で見られているようで、それがたまらなかったとも付け加えたのだった。
 確かにそうなのである。二人の子供達からは、ただの一度も体育の授業や運動会が嫌だという言葉は聞いたことがなかったのだ。
 ともあれ、彼の六年間の思いは、あの涙の中に凝縮されていたに違いない。十年以上経った今でも、私のまぶたに焼きついて消えることのない一コマと、息子の言葉である。
(2006.4.20)

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