怪我3〜右足骨折〜

 3度目の怪我は、大学1年生の秋。夏休み明け最初の授業に向かう途中の朝のことでした。

 その日は翌日に射撃の試合を控え、友人宅に前泊するつもりで、教科書類のほかに1泊分の荷物と、もちろん銃を携えての登校でした。
 当時地下鉄を乗り継いで、大学最寄り駅まで行き、下車後、キャンパス内を含め、教室まで15分ぐらいあるルートを使っていたのですが、最後の電車を降りて、1〜2メートルぐらい歩いたときでしょうか。靴のヒール(と言ってもローファーの比較的安定したヒールです)が横に倒れたようになって、要するに足首を90度ひねったような状態になって、バランスを崩してしまったのです。
 荷物がとても重かったし、とても自分の体を支えきれるものではありませんでした。足から「ぐりっ」という鈍い音がしたあと、銃がバターンと倒れる音が地下鉄駅構内に響きわたりました。その音を聞きつけ、駅員が駆け寄ってきます。当然、私も倒れています。「大丈夫?」そう言って、銃の入ったケースを拾い上げてくれましたが、「うわ、重いね」と言ってまた地面に置いてしまった駅員。そんな行動ありですか?と思いながらも、そのとても重たい物(ぶつ)をまた持って歩くのかと思うと、私も不安でなりません。なぜなら、あの足のひねり方と音からして、足首の骨が真っ二つに折れているに違いないと思ったからです。「立てる?」と聞かれ、なんとか(普段でもなんとか)立ち上がったところ、意外にも足首はきちんとつながっています。捻挫で済んだのか?と思いつつも、足を着くと、やはり激痛が走ります。「すいません、電話を掛けたいのですが、電話どこですか?」と尋ねてみると、「階段を降りて、また登った、向こう側のホーム」としれっと答えてくれました。実はこれ、相当な痛みがあることを伝えたあとの対応です。重いとはいえ、銃を地面に戻してしまう駅員さんですからね。この人はまったく協力してくれそうにありません。
 とりあえず、痛い足を引きずって、階段を登り、地上に出て、電話。しかし、家に連絡をしてみたものの、留守番の祖母がいるだけで、どうにもなりません。授業に出ているはずの友人、射撃部の仲間、考えられる限り連絡をしてみましたが、つながりません。なにせ、当時はPHSがようやく出始めた時代。今のように誰でも電話を持っているわけではないのです。しかたなく、大学の診療所まで自力で辿り着こうと決意しました。診療所までは駅から10分ぐらいです。おそらく救急車を呼ぶのが正解だったでしょう。今ならそうします。ただ、その時はたかが捻挫で救急車を呼ぶなんてと思ってしまったのです。ティーンエイジャーだったし、ずうずうしさが足りなかったんですよね。そして、歩き始めることに。しかし、その道のりは長かった・・・。すれ違う学生に助けを求めようと思った回数、10回以上。その学生に「この子、大丈夫か?」という不審げな目で見られた回数も10回以上。助けを求めるべきだったでしょうが、どう助けてもらえばよいのかがわからなかったというのもあります。「診療所まで負ぶってください」?やはり救急車でしょうね。足はローファーからはみだして、みるみる膨れ上がっていきました。
 やっとのことで診療所のドアをノックしたのは、歩き始めてからおよそ1時間後。砂漠の中のオアシスに辿り着いたような気分です。その日の外科の診療は午後からだったため、近所の大学契約病院に車椅子で連れて行ってもらうことになりました。やっと、足を着かなくて済むかと思いきや、「ちょっと車椅子までケンケンしてもらえます?」と言われたので、「ケンケンできないので、今更ですから足着いて行きます・・・。」もう、座れるならなんでもいいです。
 結局診察の結果、小指の付け根の骨折であることがわかりました。場所としては足の外側の、つま先からかかとまでのちょうど中間にあたります。診断結果を受けて、診療所のかたに、「足をつかせてごめんなさいね」と謝られましたが、自力で歩いてきたくらいなので、まさか骨折しているとは思っていなかったでしょう。

 そんな足を抱えても、若かった私はまだ翌日の試合に出る気でいました。雨が降り始める中、やっと連絡のついた射撃部の友人の一人を呼びつけて、宿泊予定の友人宅へ。ところが、幸か不幸か、降り出した雨はやがて台風になり、射撃場の屋根が壊れたとかで、翌日の試合は中止になりました。翌朝は、片足跳びができない私を友人に背負わせたり、看護士さんに抱えさせたり、また重たい荷物を友人に運ばせたり、母を迎えに来させたり、とにかく周りの人に迷惑をかけまくって自宅へ戻りました。最初から自宅に戻っていればと、本当に申し訳ない限りです。試合に出ていたら、もっとひどいことになっていたでしょう。

 さすがにその後は部活動をお休みしましたが、授業には休まず出席しました。そして、その間、松葉杖という強力な武器を手にした私は無敵になりました。階段をゆっくり上るのも気分がよく、電車では黙っていても席を譲られます。優先席に座っていても罪悪感はなく、学生禁止の大学のエレベーターだって堂々と利用できます。体の自由がいつもほどきかない以外は、普段より気持ちよく毎日を送れたように思います。怪我をしているというのに味わえるこの楽な感覚は、ミオパチーならではの複雑な感覚だったと言えるかもしれません。

 でも、もう大きな怪我はこれで終わりにしたいと思います。
(2008.2.12)

 INDEX